摂食障害/拒食症回復者アンケート2009 

1.摂食障害/拒食症回復者アンケート2009

このアンケートの質問は、摂食障害のお子様を持つ家族の方々から、「回復した患者さんの話を聞きたい、回復者に質問したい」というご要望にこたえて、家族の方々が回復者に聞きたい質問をアンケートにまとめ、病気から回復された元患者様に回答していただきました。
本年は、2名の方よりメッセージをいただきました。いずれも10年以上の闘病を経て回復された方です。
*個人を特定できないよう、一部に改変を加えています。(2009年5月作成)

1.回復のきっかけになったことは、どのようなことでしょうか?

【Aさん】
「あきらめた」物事は思い通りにはいかないと気付き、期待する事をやめた時、「どうでもいいや」が無理せず気楽にしてくれた。そして、本当の自分の気持ちを人に伝えるには、このままではダメなんだと思った時。

【Bさん】
①大学を退学したこと。それは、自分はこうあるべきだと思い込んでこだわっていた 世界、学歴や世間的な評価の絡むものから距離を置いたということになると思いますが。それですべてが変わるほど甘いものではありませんでしたが、次へ進むきっかけになりました。

②ひきこもりと過食と自殺願望でぎりぎりだった状態で入院した時、まさに症状の真っ只中という方とお母様が付き添っていないといられない比較的お年を取られた方が入院されていて、過去の自分と未来の自分を見る思いがしました。大変に失礼な話ですが、このままいくと、未来の自分になってしまうと危機感を強く感じ、また、死ぬ勇気もないことも自覚出来、治って生きるんだ!と強く思えたこと。

③祖母の介護が始まったことで、自身や家族間に風穴が開いたこと。それまでは、自分が自分がという感じだったのが、祖母のことを心配したり、両親と祖母の話で会話するようになり流れが変わりました。この流れで、介護の仕事をするようになったことも大きいです。

2.家族がしてくれたことで、回復に役立ったと思うことは何ですか?

【Aさん】
特にありません。私は家族に望む事をやめて、受入れる事にしてみました。「目線が変わると物事が進む」と実感しています。

【Bさん】
①過食をしていることや私自身に対してダメなどの否定的な言葉をいわれなかったこと。でも、肯定的なことをいわれることもあまりなく、こちらが勝手にダメだと思い込んでいたことが多々あったと後から気付くが、いずれにしても、この20年近くもの間、否定的な言葉を言われなかったことは、両親に対する信頼につながるものだと感じます。

②こちらが、とりあえず出し切ったというところまで話を聞いてくれたり、聞こうという姿勢を示してくれたこと。でも、実際は、常にそうであった訳ではなく、それは、逆にしてほしくなかったことにつながります。

③ご飯を食べなくても残しておいてくれたり、外食にさそわれて行かないと言ったときにおみやげを買ってきてくれたり、こちらがいやだと突き放しても、それでもなおしてもらえたことの積み重ねも大きいと感じます。

3.家族にしてほしくなかったこと、されて嫌だったことは何ですか?

【Aさん】
弟が家に彼女や友達を、毎日のように連れて来ていた事。母が自分の痩せている姿の写真を持ち歩いていて見せているのを知った時。

【Bさん】
(問2と重なるところがあります。)

①長年に渡り、不毛な発言だと自覚しながらも、両親やまわりの環境をなじったり批判したりということをくり返してしまうのですが、それに対して話題をそらすというか終わりの方向へ会話を持っていかれること。また、返ってくる言葉がいつも同じ内容で、周りの環境がどうであれ、結局は自分の人生なのだから自分で切り開いていくしかないというもので、ごもっともではあるのですが、自分達には悪いところは全く無いというように聞こえ、ごめんねと言って欲しいとのマグマのような思いを抱えながら、火に油を注ぐようなやり取りへ展開していきました。先日の小原先生のコミュニケーションのお話のなかで、そうだねとまず、受入れることの大切さを言われましたが、本当にその通りだと思いました。

②諦められてしまうこと。家族、特に両親は、子供を尊重するという思いと、腫れ物に触るようなところとあり、例えば、ご飯を食べるかと聞かれていらないと言うと、ああそうかとあっさり引かれてしまうと寂しい気持ちになりました。しかし、干渉的であればあったでうるさいからやめて欲しいと言い、何をしてくれたところで、すべて跳ね返ってしまうどうしようもなさでありましたが。両親からの愛情を試して、散々あきれられてということを何度も繰り返してしまいました。今でも、人間関係を築く上での癖として残っているように思います。

③上記(3の②)にも通じますが、目の前で過食をしているのに、それに対して気遣ったり止めてくれなかったこと。そして、そのまま1人残って過食を続けるみじめさ。過食をしていることが当たり前の日常のように、扱われていると感じました。

④症状がひどかった時に、両親が忙しく、食事や家族で食卓を囲むことに対する配慮がなされなかったこと。忙しいのだからと物分りよく留守番していたものの、作り置きや出来合いのおかずを一人で食べていた事が辛く思い出される。実際、その思いに気付いたのは後年で、自分の気持ちに気付いたり、表現したり、発散したりということが下手であったと、本当に食べることしか出来なかったのだと思います。

⑤信仰を持っている両親に信仰することやその活動をすすめられたこと。振り返って考えてみると、信仰云々というよりも私自身のことを見て欲しいと願っていたと思います。また、信仰をしなければ到達出来ない世界があるのではないかという無意識的な絶望感や劣等感にも苦しめられたと思いますし、それは今でも拭い去ることが出来ないと感じています。

4.体重・体型についての強いこだわりは、どのように軽くなっていきましたか?

【Aさん】
こだわりはあるが、意味が変わってきたと思う。昔は、痩せていると何でも叶うように思っていたのかも知れない。人間関係が下手で人の中にいても、孤独であったり、明るく人の中に入れない時。痩せていてかわいければ、もっと明るく自分に自身が持てると思っていたが、自身を持つのと痩せていることを、つなげて考える事は全くなくなった。

【Bさん】
社会生活を送れるまでになる過程の中で、体重や体型のこだわりの泥沼、それは、過食の泥沼とイコールと言ってもいいかと思いますが、この泥沼に何度の足を取られながら、こだわりが軽くなったというよりは、自身に対する諦めによって結果的にはふたをしているように感じます。例えば、久し振りの友人に会ったり、きちんとした格好をして出掛けなければならない時、はたと我に返り、なんてひどい姿をしているのだろうと愕然としてしまい、それこそ、私は今を生きていないのかもしれないと思ったりするのですが、そんな時は、まぎれもなく生きているぞー!と自分の呼吸を確認します。

5.この病気をする前後で、あなたの気持ちやストレスへの対処方法に変化がありましたか?また、どのように変わっていきましたか?

【Aさん】
ストレスを感じるようにしている。何が嫌で何が好きか、はじめは常に考えていた。好き嫌いを、自覚する事でストレスが少なくなってきた。対処方法は今でも探しているが、いくつかはある。

【Bさん】
もう、20年になることなので、前後という区切りは出来ないように思いますが、でも、着実にゆっくり変化をし続けているということは言えると思います。
以前は、勉強が出来、よく本を読み、いい仕事に就き、世の中の役に立つ人間でなければならない、まわりの人達や世間からもすごいと言われる人でありたい、そうすることで両親は私を認めてくれ、対等にしゃべることが出来るだろう。でも、それをなしえない自分はどうしていいかわからない、考えられない、存在出来ないという気持ちが、一番変化したと思います。

今では、私は生きていてもいいらしい、何より、何だかんだ言いながらも生き続けているし、と心の奥底で思っています。また、自分の存在に対する不安の裏に、高いプライド、こうでありたい、こうあらねばならない自分に自分はなれるという自信のような根深い思いが立ちはだかっていると、2、3年ほど前でしょうか、気付きました。そのプライドも徐々に薄れてきて、いい意味でずうずうしくなってきたように思います。
そして、結局は、両親のことが大好きだったんだと気付いた事も大きいです。摂食障害というかたちでしか甘えることが出来なかったやるせなさや、拭い去りがたい悲しみや怒りの感情もありますが、長年、見捨てずにそばに居てくれたことに対して感謝の思いを抱くようになりました。

ストレスの対処法についてですが、症状のひどかった頃は、何がアドバイスなのか、なぜ食べてしまうのかもわからず、ただひたすら食べていました。現在では、自分が食べることでストレスを解消する傾向が強いことに気が付き、そして、何にストレスを感じているかわかりながらも食べているところが大きな違いだと思います。
また、食べることだけに溺れることはなくなり、ちょっと泳いだら、また陸に上がって歩き出す、陸にはやるべき仕事や課題があり、家族や友人達もいてくれるという状況があります。

以前は、頑張って陸に這い出てみても、どうしていいかわからなかったり、何かにトライしたり、友人と会ってみても陸に留まることが出来ず、食べることの泥沼に舞い戻るようなことを何度も何度もいやになる程繰り返して、自分自身もまわりも変化してきているように思います。

6.過食嘔吐・下痢の乱用があった方にお聞きします。

Ⅰ.過食や嘔吐をしている最中の、家族の対応に望むことはありますか?

Aさん】
ひとりにしてほしい。

【Bさん】
過食はありましたが、嘔吐したり下剤を乱用したことはありませんでした。

Ⅱ.過食嘔吐や下剤の乱用を減らすために、家族が協力できることはありますか?

Aさん】
ありません

【Bさん】

Ⅲ.過食嘔吐や下剤の使用は、どのようにして減っていきましたか?

Aさん】
自分の体が機械ではない、生きていると実感した時、急に恐ろしく思った。

【Bさん】

7.この病気の発症に至った要因についてお聞きします。

Ⅰ.自分が発症に至った要因やストレスについて、自分で思い当たることがありますか? 
【思い当たる・少し思い当たる・あまり思い当たらない】

Aさん】
思い当たる

【Bさん】
思い当たる

Ⅱ.思い当たる方は、そのことを両親(もしくは、父*母のどちらか)に、話しましたか?
【話した・少し話した・話していない】

Aさん】
話してない

【Bさん】
話した

Ⅲ、発症に至った要因について、親に話すことは回復に良い影響があると思いますか?
【そう思う・どちらとも言えない・そう思わない】

Aさん】
そう思わない

【Bさん】
どちらとも言えない

8.また病気が再発するのではないか、悪化するのではないか、という不安はありますか?
【ひどくある・少しある・あまり無い】

Aさん】
あまり無い

【Bさん】
あまり無い

9.回復期に学校や職場などで社会生活を送るにあたり、何か不安がありましたか?また、それをどのように克服しましたか?

Aさん】
今でも不安です。同年代より少し下の人と会話が合う気もする。でも、それも日々少しずつ変化していて、いずれは同年代に追いつけるように思える。ただ、穴ぼこの時間があるのも事実なので、その時間を人に話す時に、時間のズレを感じる。

【Bさん】
私の場合は、不安がある程、食べてバランスを取っていたと思います。でも、何が不安なのか追求する余裕もなく、職場から離れれば必死に食べていたと思います。
現在では、翌日、ダメージが残る程の過食はしなくなったし、ましてや引きこもるようなことはなくなったというレベルなので、克服という言葉はあてはまらないかもしれませんが、私がまわりの方達から学んだのは、ちゃんと出来なくてもいいということです。ちゃんとやらねばならないのは自分で自分を窮屈にしてしまいますし、思い込みの強い部分であると思います。
と言いながらも、私も未だにちゃんとやるのが筋でしょう・・・と思いますし、失敗を恐れる気持ちが強いのですが、まわりの肩の力が抜けた様子にずっこけさせられて、思わず笑ってしまうようなことに助けられているのではないかと思います。以前は、いい加減だと全否定していたのですが、いつのまにか、変化していました。

10.学校や仕事に行かずに、ほとんど家にいた時期があった方にお聞きします。

Ⅰ.ほとんど家にいた時期はどれくらいですか?

Aさん】
外出はしていたが、外の何にも属していなかった時期は2~3年あったと思う。

【Bさん】

Ⅱ.どのようなきっかけで外に出ることができるようになりましたか?

Aさん】
大学に通う事になった時。それまでもアルバイトを始めたりと外へ出るチャンスは作っていたが、あまり長続きせず2~3週間働いて、2~3ヶ月何もしない日々が続いた。

【Bさん】
大分昔のことで記憶が定かではありませんが、中学2年の終わりごろから拒食となり、約1年程過食症に転じて以来、嘔吐なしの過食とともに引きこもりの症状があったため、家から出れない状態は多々ありました。
大学を中退するまでは、常に出席日数はぎりぎりで、高校も1年留年しています。学校に行かないときは、家でひたすら食べていました。身動きが出来なくなる程食べてやっと、学校に行かない理由を自分の中で正当化出来たような気がします。
大学を中退した後は、短期のアルバイトや旅行をして家の外、社会へ出ることを試みては、それらが終わる度に、その何倍もの期間、引きこもって過食をして、そしてまた外へ出ることを試みる・・・というような暮らしをしていました。例えば、1ヶ月、スーパーのお惣菜コーナーのアルバイトをして、3ヶ月、引きこもって過食をするという具合です。
でも、この頃、唯一、長期間続けていたアルバイトがありました。市場調査の電話を掛けるアルバイトで、自分の希望するときに社会に電話をして仕事があれば出る、ブランクが数ヶ月あろうと問題もない、職場の人間関係もほとんどないというもので、今にして思うと少し気楽で続けやすかったのだと思います。
しかし、この生活にも限界がきまして、過食は一向に治らないし、まともに仕事も出来るような状態ではないし、相変わらず、両親とは折り合いが悪く、親しい友人もいないしで、24歳ぐらいだったでしょうか、1年程、全く社会性を失って、外にもほとんど出ない状態となりました。この頃には、自殺願望を強く抱くようになり、絶望的な思いで日々が過ぎてゆくなかで、たまたま目にした雑誌の記事で、ある病院の養生施設を知り、わらをも掴む思いで入院し、アンケートの1の②に書いた出来事があり、徐々に、また、外へ出る事が出来るようになりました。
退院後はじめて試みたアルバイトは、郵便局の年賀状の仕分けでしたが、緊張のせいか高熱を出してしまい何日か休んでしまったことを覚えています。
その後、25歳で、最初はアルバイトでしたが、介護の仕事をはじめました。こちらも、簡単ですが、1の③に経緯を書いています。介護の仕事は、やりがいや楽しさを感じながらも、頑張りすぎてしまうのでしょうか、しんどくなってしまい、長く働き続けることが出来ず、結局、32歳で体を壊して介護の仕事を離れるまでの間、3回、職場を変わりました。
でも、働き始めた頃は、仕事から帰るとひどい過食をして、仕事に行くか過食をしているかという状態だったのが、少しづつ余裕を持つことが出来るようになり、休みの日に職場の友人と会ったり、お酒を飲みに行ったり、資格の勉強をしたりと、人並みな生活に近くなって、という表現は適切かどうかはわかりませんが、過食に溺れる生活からは離れてゆくことが出来ました。
現在は、摂食障害や介護の経験を生かしたいと思い、鍼灸あん摩マッサージ指圧師を目指して専門学校に通っています。次の私の目標は、家から出て自立すること、運がよければ、よいパートナーとめぐり会えたらいいなあと思っています。
一般に言われるライフサイクルからはかけ離れていますが、着々と変化していることをよしとして、これからも、前を向いて進んでゆきたいと思っています。

Ⅲ.学校に復帰する、仕事に就くなど自分の望む生活を手に入れるための足がかりとして、自分で行った具体的な行動や努力はありますか?うまくいったこと、いかなかったことをできるだけ具体的に教えてください。

Aさん】
マイペースでいる事、自分を守る事、聞き流す事。始めは自分を守る必要があると思う。復帰したての頃は、心がワクワクしていて一番敏感で繊細。そして、一番苦しかった。でもその時の感性は、その時しか味わえないし、病気をした人の特権です。
あの時期の自分の心は私の一生の宝物です。

【Bさん】
上手くいかなかったことは、学校や仕事をするためにやせる計画を立てることです。ことごとく成功した試しがないにもかかわらず、懲りずに計画を立ててはあっという間に挫折してしまい・・・ということを星の数ほど、それも優先的に試みました。未だ、その傾向はありますが、それがすべてではなくなりました。
やせる計画以外はアクションを起こしたということだけでえらい!がんばった!と思いますし、無駄なことはなかったのではないかと思います。そういうふうに考えると、やせる計画を立てることも無意味ではなくなるかもしれませんが。

以下、お世話になりました治療機関や自助グループ、個人での試みについて簡単に述べたいと思います。

治療機関、自助グループ

一番最初の頃は、女子医大でお世話になりました。その後は、いつ頃にというのは記憶が定かではないのですが、自分で調べて3件、両親の知り合いのすすめで1件、摂食障害や引きこもりを診てくださる心療内科、クリニックに掛かりました。引きこもる傾向が強かったため通いきれず、また、両親が継続的に通院するということもなく、いずれも1回から数回のみの受診に止まりました。
毎回、ものすごい期待を抱いて受診し、もうひとりで苦しまなくてもいいんだという安心感を感じることもありましたが、短い時間のやり取りではその思いは失望感に変わり、再び、過食の渦に巻き込まれてしまったように思います。
アンケートの1の②、9のⅠ・Ⅱに書いた病院の養生施設は、玄米菜食と歩く事で心身を整えてゆくというもので、行ったタイミングもよかったのだと思います。また、歩く事が合っていたようで、過食からのギアチェンジに、その後、よく歩くようになりました。

自助グループ

症状のひどかった頃は、存在は知りながらも、引きこもりでミーティングに通うどころではなく、会員になって会報を読むという発想も余裕もありませんでした。ある自助グループに入会して会報を読み、たまにミーティングに参加させていただくようになったのは、介護の仕事をはじめ、少し余裕が出来、自分自身と向き合う必要性を感じてからでした。会報は、毎回、胸をえぐられる様な、知らず知らず自分が蓋をしている心の内に気付かされ、ミーティングは、すでに回復者という位置付けになりながらも、症状が治まってもなお、自分を生き苦しくしている方の声に直接触れることで、自分の経験が役に立つかもしれないと思えたのもこの時です。

クリニックのグループワーク

摂食障害の治療で有名なクリニックの集団治療を受けました。自助グループの会報を読み始めたのと同じ時期と理由です。やはり、回復者としての位置付けでしたが、冷静に自分自身と向き合う機会になりました。

その他の試み

食べること以外にやりたいことや趣味のあることを見付けて・・・とよく言われたのですが、考えれば考えるほど、勉強して本を読んでといった、こうありたい自分になるための行動以外、すべて無意味に思いました。とどのつまり、過食ほど楽しいものはない!と思いました。そう思い至り、絶望的になるのですが、かといって食べて終わりの人生でよいかと問われたらNO!と思う自分もいました。
でも、どうしていいかわからなかったので、とにかく、アンテナにほんの少しでも引っ掛かったものには反応するように心掛けました。考えるよりも、感じて動くこと・・・ということで、本を読んだり、音楽を聴いたり、ライブやコンサート、映画や舞台、絵も観に行き、実際に描いてみたりもしました。
ダンス教室、水泳、山登り、ヨガ、ウオーキング、区民講座や講演会にボランティア。お銭湯に住み込みのバイトをしながらの旅行をしたりもしました。無鉄砲に海外に飛び出してみたり。はたから見ると、取りとめもないようにうつっていたと思います。時に、過食や引きこもりの泥沼状態から這い出すようにして出かけたこともありますし、体はだるいは疲れるは、人が絡めば気疲れするはで、逆に過食や引きこもりがひどくなることもありました。すぐ、また過食の波にのまれてしまったとしても、小さな小さな行動の積み重ねは決して無駄ではないと思います。

特におすすめは以下です。

体を動かすこと(わたしの場合は、ウオーキング、ヨガ、ダンス)
マッサージや銭湯など、気持ちがいいと思えること
体を整える事で、心が変化していくということは、本当だと思いますし、心の面からアプローチしてゆく手助けにもなってくれるのではないかと思います。
人にもまれること、風通しを良くすること
結局、社会生活を営むということは、人にもまれてゆくことだと思うのですが、私の場合は、こうあるべき自分の鎧や過食や引きこもりで身を守り、自らまわりを寄せ付けなかったと思ってます。記憶は定かではありませんが、回復してゆく経緯のなかでそのことに気が付き、人にもまれることや精神的に風通しをよくすることをよしとしていろいろなことを試みるようにしました。
文章を書くこと
書くことで、自分の思いに気が付き、吐き出し、整理が出来ると思います。

Ⅳ.社会復帰までの期間に、家族や周りの人がしてくれて助かった、具体な援助(たとえば、一緒にしてくれた行動や経済面の援助等)はありましたか?

Aさん】
・人間関係、コミュニケーションのトレーニングなどをカウンセリングできる環境があった事が大きかった。
・家族に対しては、大学に行かせてくれた事、いきなり社会に出るより守られた環境を与えてもらえたと思う。

【Bさん】
経済面と、それにともなう精神的な援助が一番大きいと思います。私は、34歳の今まで家を出て生活をしたことがなく、そういう考え自体、29、30歳頃まででしょうか、ないような状態でした。それこそ、働くということ、結婚や出産など当たり前のことを考えることが出来なかったという方が正しいかもしれません。
やっと、自立して生活することを目標にして勉強している現在、両親からもそれを後押しするような言葉が聞かれるようになりました。それまでは、一貫として、経済的なことで嫌な気持ちになるようなことを言われたことはなく、逆に、私のほうが焦って、自立をためにも家を出るように言って欲しいなどと勝手を言ったこともあるのですが、そのような時も、自分が元気なうちは居たいだけいればいいからと言い続けていました。改めて、無言の経済的、精神的な援助を受けていたのだと思います。このアンケートを書きながら感謝の思いを新たにしています。

11.その他、ご家族に向けてアドバイスがございましたら、どのようなことでもお書き下さい。

Aさん】
ごめんなさい。家族の方にアドバイス、何を言ってよいかわかりません。それぞれの家族、親子関係によって異なるものだと思うので。

【Bさん】
両親に対して、どこまでゆけば、私の心は満足することが出来るのだろう、何をしてもらっても突き返し、どれだけひどい言葉を浴びせて悲しませたら気が済むのだろうかと、元々の元々は、両親のことが大好きで喜んでほめてもらいたかっただけなのに、どうしてこんなやっかいなことになってしまったのだろう、さみしい!かまって!と甘えなかったのだろう、騒ぎ立てなかったのだろうと、時にやるせない思いになります。でも、大好きだからこそ、諦めきれず(執念深い性格なのも大きく関係しているように思います)、そして、矛先を向けられるのが本当に両親しかいなかったと思います。どうか、諦めずに、見捨てずにいてほしいと両親への願いを込めてアドバイスと代えさせていただきます。

12.現在、闘病中の患者さまに向けてアドバイスがございましたら、どのようなことでもお書き下さい。(この質問のみ、患者様に向けてご回答ください。)

Aさん】
理解して欲しいと思わずに、人には色々な考え方、捉え方があるので、自分の事をわかって欲しいと思うよりも、自分を大切にしてあげてください。いずれ人生は終わってしまうので。
 誰かに認められるより、自分が自分を認めてあげられたら、きっと色々な事が変わってくるのではないかと思っています。私は、自分は一生病気とつきあっていくのだと思っていました。本当にきっかけは、いつ、どこにあるかわかりません。希望を失くさないでくださいね。

【Bさん】
アドバイスを言えるような状況ではないようにも思いますが、私が経験から言えるのは、本当に絶望的な状態からでもよくなっていくことが出来るということです。劇的な変化ではないかもしれませんが、少しづつ少しづつ変化していると思います。どうか、諦めずに!と思います。