摂食障害回復者からのメッセージ

  1. 回復者の体験談
  2. 回復者の冊子の紹介

1.回復者の体験談


2008年5月に患者勉強会を開催した際に、回復した方が自身の体験を、患者さんの前で話してくださいました。その際の原稿をここで公開させていただけることになりました。ここでは仮に、なつこさんとしてご紹介いたします。

なつこさん

なつこさんは、現在36歳。23歳ごろから過食・嘔吐が始まり、体重も最低時には、身長163cm、体重38kgまで減少しました。過食・嘔吐は13年ほど続きましたが、現在は回復し、子育てに忙しい毎日を送っています。

1.どのようなストレスが発病に関係していたか?

一番はやはり、当時の仕事、人間関係であったと思います。
あとは、年齢的なもの。
最初のころは、過食を夜中だけしていて仕事に行くなど、日常生活はなんとかこなせていた。だんだん、年齢的にも(26~7才になり) ‘自分はこのままでいいのだろうか・・・,と見えない将来へのばくぜんとした不安。

2.どんなひどい症状があったか?

一番ひどい時は、‘食べ物,の事しか頭になく、それ以外の事が考えられなくなり、日常生活もこなせなくなっていった。家に閉じこもり、日光を浴びる事が出来なくなり、お風呂に入る事すら出来なくなり、日中はボーッとわけがわからずで、夜中になると、コンビニに行って買いあさり、部屋で食べつくし、吐く・・・という事を、くり返すだけの日々だった。

当時は自分のやっている事が、何なのか、自分でもわからずやっていた。本屋さんに行って調べて初めて‘摂食障害,という言葉を知った。どんどんエスカレートしていった。

全ての事を否定的にとらえる事しか出来なくなってしまい、‘なぜ、自分はこんな事をやっているのか,‘なぜ、自分がこんなふうにならなければいけないのか,という、ぶつけようのない怒りから、自己嫌悪になり、そのいかりを自分に向けるしか出来ずに、数え切れないほどのリストカット、(それも包丁で思いっきり)をくり返した。神経を傷つけ、今でもしびれは残っている。あとは、寝ていれば、意識さえなければ、食べ吐きもしないですむし、イヤな事も考えなくてすむと単純に考え、眠剤とアルコールを一緒に飲んで、現実から逃げばかりの日々だった。

食べ吐きからだけではなく、全ての事から逃げたかった。楽になりたかった。生きている意味も分からなかった。考えても、考えても答えは出なかった。

「摂食障害」という言葉も受け入れる事が出来なかった。病気と認める事が出来ず、ただ、自分の意志が弱いだけと、自分を責め続けていた。そして、母を責めた。

「この世に生まれてさえこなければ、こんなに苦しい思いをしないですんだのに、なぜ産んだの?」と。生きている意味はもっと分からなくなり、全てからのがれたかった。

3.それらの症状はどのように治まったか?

長い年月がかかっているので、その中でもすごくヒドイ時期と、なんとかなっている時期(日常生活がこなせる、外に出られる、少しずつ仕事にいける、など)があって、少しずつ食べ吐きを、自分でコントロール出来るようになっていった。

あとは、食べ吐きをしてしまった事を、悪い事をしたと思わず、後悔しないようになっていった、少しずつ。‘やってしまった事は仕方がない,と思えるようになった。まり先生、麻生先生のアドバイスや、自分でも本を読むなどして。

でも一番は「これは病気」と認めた事だと思う。イヤだったけれど。認めるしかなかった。認めざるを得なかった。それが出来た事かなと。あとは、子供を見ていて。縁あって、子供を授かる事が出来たこと。こんなに小さいのにたくさん食べる姿を見ていて。

たくさん食べて、たくさん出して、たくさん遊んで、疲れたら寝て。くだらない事でケタケタ大笑いしたかと思えば、ちょっと気に入らない事があるとすぐ怒る。おなかが減ると、ぐずって機嫌が悪くなって、何か食べている時はすっごく嬉しそうな顔をしてご機嫌になって・・・。と毎日一緒に過ごしている中で、そのような姿を見ているうちに、「これが本来の人間の姿なんだなぁ、、、」と思うようになり自然と、食べる事への‘恐さ,がなくなっていき、気が付いたら‘吐く,という感覚を忘れていた。

4.この病気に対する今の気持ちと、患者さんへのアドバイス

過中にいる時は、‘なんで私が?,ばかりで、お先真っ暗で何も見えず、一生抜け出せないドロ沼にはまってしまったような、アリ地獄にはまってしまったような感覚で、‘普通に食事をする,という事がもう一生、私には出来ないの?という思いでいっぱいだった。自分でも、異常な行動だと思っているのに、素直に「病気」と認める事が出来なかった。認めたくなかった。でも、認めるしかなかった。認め、受入れるしかないと思うようになった。

自分で自分を否定し続けてきたけれど、自分を認め、受入れる事が出来るようになった。自分は弱い人間でありながら、強がっていただけで、そんな自分を好きになれず、自分が大嫌いだった。

でも、いろんな事があって、‘これが私なんだ,と今までやって来た事、見て来た事、全てが私であって、誰のためでもなく、誰のせいでもなく、自分がやって来た事、でも、それが私なんだと。
人間だから、弱い所があって当たり前だし世の中にはどうにもならない事がたくさんある。背のびをしないで、このままの私でいいんだと、思えるようになっていた。

やっと自分を受入れる事が出来るようになったと。それが、この病気の回復への一歩なのではないかと思います。この一歩がなかなか難しいのだと思いますが、必ず出来る日が来るという事。人によって、おちいる原因も違えば治り方も違うはず、年月も、人それぞれ。でも、それでいいのだと思います。

必ず、回復します。自信を持って言い切る事が出来ます。
そして、私は今、今までやってきてしまった事に対して、後悔もしてないし、悪い事だとも思っていないし、恥ずかしい事をしてきたとは全く思っていません。それらがあったからこそ、今がある、と思っています。それらの出来事がなかったら、今はない、と思っています。苦しかったけど、私には必要な出来事だったのだ、と素直に思います。だからこそ、心から尊敬できると思えるまり先生や麻生先生に出会う事が出来、出逢うはずもなかったかもしれない人々に出逢う事が出来、今まで考えもしなかった様なことを考えたり、思ったりするようになり(良い意味で)、人に感謝をしたり、相手の立場になってものを考えられるようになりました。

世の中には、自分と違う人間がたくさんいるんだという事、自分と考えが違うからといって、それが正しいとか間違いとか、良い悪いと決めつけてはいけないという事。

見えない世界の方が、大きいのだという事。自分が見えている世界なんて本当に小さな世界で、世界はもっともっと大きいのだという事。それが、世の中なんだという事。
良い事もあれば、悪い事もあるという事。
それらの繰り返しが、生きているという事。

何かの本で読んだのですが、「病気は、人の心の弱さに気付くためのメッセージ」と書いてあって、私もその通りと思います。そして「病気をした人は、より優しくなれます。」とも。

「病気」は必ず回復するし、何かを学び、気付くためのメッセージであると思います。
必ず良くなります。自分を信じてあげて下さい。

長い長い年月がかかってしまったけれど、今、私は、その時期がムダであったとは全く思っていません。ここには書ききれないほどのたくさんの出来事があったのですが、それらの出来事(もちろん食べ吐きを含めて)があったからこそ、今がある、あの出来事がなければ今はないし、私の人生で避けては通れない道であったと思っています。

 むしろ、あって良かった、と感謝しています。そのお陰で、いろいろな事に気付く事が出来ました。今は、心からそう思っています。20才の若さはないけれど、私は”今〟が、一番人生で楽しいと思っています。そしてこれから、もっともっと人生を楽しんでいこう!と思っています。今は、”食〟とは全く関係のない悩みというか、問題はあるのですが、それは誰でも思う事。生きている限り、悩みはつきないし、逆に、悩みのない人生なんてつまらないでしょうと。起こってしまった事に対して、ただ嘆いて、人のせいにしたりするのではなく、その事をどお受け入れ、対処していくか、なのではないかと思います。それは、またこれから学んでいく事なのだと思います。

繰り返しになりますが、「病気」は必ず回復します。そして、回復した時には、病気になる前の自分よりも確実に成長している自分がいます。人間は、そういう”力〟を持っている生き物だと思います。あせらず、ゆっくりと・・・自分を大切にしてあげて下さい。

2.回復者の冊子の紹介

「心のもつれ」

この冊子は作者のいずみさんが、自身の摂食障害の苦しみや心の思いを書き綴った心日誌です。同じように悩み苦しんでいる方に何かを感じとり、何か一つでも気づく事があってほしいと思いを込めて冊子にしました。その中の1ページをご紹介します。
(2008.2.25)

運命

ねぇ、どう思う?
“運命〟ってあるのかな?
生まれた時から決まってるのかな ”自分の運命〟

ねぇ、どう思う?
もしあの日”あれ〟をしていたら、”あれ〟をしていなかったら、
“自分の運命〟違ってたかな?

ねぇ、どう思う?
今の私、”運命〟通りなのかな。
毎日毎日、食事のことだけを考えて生きている。
毎日毎日、食事ということに苦しんで生きている。
これが私の”運命〟なのかな。

ねぇ、どう思う?
あの時”指令〟が出されてなかったら、私の”運命〟違ってたかな。
今頃、どんな私になってたかな。
こんな情けない私じゃなかったかな。

ねぇ、どう思う?
“運命〟変えることできるかな。
今の私、変えられるかな。
今の私、抜け出せるかな。
今の私、乗り越えられるかな。
これからの私、好きになってあげられるかな。

ねぇ、どう思う?
あなたは”あなた〟を好きですか?
あなたは”今のあなた〟を変えたいですか?
あなたは”あなたの運命〟変えたいですか?

私は変えたいなぁ”今の自分〟
私は変えたいなぁ”これからの私の運命〟
“私を好きになってあげられる運命〟に。