特別なきっかけは私の場合はありませんでした。一進一退。とても時間がかかることをまず受け入れて、とにかく希望は持ち続けることで、一日一日をやり過ごすというか、他の事に無理やりでも夢中になることで徐々に抜け出したという感覚があります。
両親が摂食障害に関して理解し始めてくれたこと。規則正しい生活を始めたこと。認知療法を始めたこと。
早く治りたいという気持ちが沸いた。やせきった時、自分の姿を見て、「もういいや」と思ったのを覚えている。早く普通の子に戻りたくなった。
私の回復のきっかけになったのは、自分が本当にこの病気をどうにかしたいと思い、大学の図書館で拒食に関する本の中から眞理先生の本を見つけ、診察していただき、入院できたことです。それまでは入院や通院をくり返しても、本当は治りたくない自分がいたため、悪化する一方でした。
時間がたつにつれて、このままではいけないと自我が目覚めた時に、外へ、数時間働くようになったこと。
鈴木先生との出会い。この病気がどんな理由でなり、どういう症状が起き、将来どうなっていくか、など根気強く、自分が理解するまで説いて下さった。それによって、自分がこんな病気に陥ってしまっているのがバカバカしくなり、一刻も早く回復してもっと楽しく生きたいという気持ちにさせて下さった。
①今まで食事量のことしか気にしなかった母親が、自分の寂しさを理解してくれたこと。
②鈴木先生にいろいろ話を聞いていただいたこと。
鈴木先生に出会えたこと。先生を心底信頼出来、それと同時に摂食障害という病気を患っているという事をしっかり自覚できたからです。
このままではいけない!と強く思う気持ちがあった。周りの友達が元気になって遊ぼうよ!と言ってくれた。病院での治療はすごく嫌でしたが、自分は何の為に入院をして治療をしているのかと考えるようになった。
自分は普通と違う生活をしていることに気がついた。昔、普通にみんなと楽しく食事していたことを思い出して、また一緒に楽しくすごしたいと思った。それは栄養が頭に回ることで気がついた。
自分自身このままではいけない!と強く思った事からです。このままでは前は普通にできていた普通の生活、社会、友達・・・の元へは戻れない。絶えず、何かの障害をせおったままは、絶対に嫌だ!将来の夢(当時、スチワーデス)にはこのままではなれないんだ・・・と自分自身を冷静にみれた事がきっかけです。
「治りたい」「治るためにがんばろう」と心に決めたのは、4年前に参加した、鈴木先生の勉強会でした。回復した方たちの体験談がとても心強かったように覚えています。そう心に決めた自分にとって、回復するきっかけとなったのは「仕事」だったように思います。今の仕事に就くまで何度も職場を変えながらも、いろいろな人との出会い、支えられたり、傷ついたりしながらも、自分の症状(弱点)と人とのつき合いを調節することが、少しずつできるようになった気がします。
大きなきっかけは思いあたりませんが、長い期間をかけて、先生からアドバイスを頂いたり、自分で高校、大学、社会人、結婚生活等、経て、様々な環境の中で、少しずつ考えさせられたりしたことで、良い方向に向かっていったのだと思います。もちろん、先生や家族の見守りが一番だったと思います。
友人が積極的に外へ連れ出してくれたこと。人とかかわったりすることを避けていたが、いろんな人と食事をしたり、いろんな話をすることが楽しいと思えた。趣味で始めたフラワーアレンジ。友人に差し上げて喜んでいただけるのが嬉しかった。その内、仕事になって、自分で責任をもって生きている感じがした。(実際はたくさんの人のおかげ・・・)
家族の愛だと思います。
よく分かりません。全てが当然のように動いていました。
長く、やせ細った体型でいましたが、自身は落ち込んで、その状態が異常であると気付きながらも、一方で、慣れてしまって、普通だと感じるところもあり・・・。ただ、健康で普通の女性として子供をもうけて、生活したいという願いがあったので、それによって「こだわり」(太りたくないという)が無くなった。
これと言ったものはありませんが、経験や人との出会い、本や音楽などから、やせたままでいるより、心の支えとなるものが増えた事。
鈴木眞理先生と出会えた事。どうする事も出来なかった心の叫びを眞理先生には、言葉にして声に出して話すことが出来た。又、自分が病気だと分かり、自分でしか治すことも出来ないと気付けた事。
第一に鈴木先生に出会えたこと。
(拒食)→体重の回復=自分の頭の中で物事を考えられる。(拒食最高の時は、まず、記憶がないこと。今では考えられない行動、まるで何かにとりつかれたみたい)
(過食)→1つのきっかけはない。何度も前に進んではまた戻り…のくり返しだった。それでも前に進む継続力と、外に(社会)目を向けて、自分の決断でチャレンジしていくこと。
アルバイトを始めたことだと思います。自分を必要としてくれる場所をみつけることができたからです。
父の死
入退院がとても長かったが最後の入院から退院後はしばらく家にいてその間、スポーツクラブに行ったり、買い物に行ったりした事が楽しかった。そして、元気でいればやりたい事ができると思えた。長い入退院生活の中、だんだん自分がどういう状態なのか考えるようになり、(このままではいけない)とやっと前向きに自分の体の事を考えられた事
同学年の子が高校卒業に時期だったので、何か変えるのはこの時期しかないと思ったこと。友達が普通に青春を過ごしているのを見て私も普通に送れるようになりたくなった。
その当時の自分の夢ややりたいこと、頑張りたいことがみつかったから。
①何より大好きだった踊りに対し情熱をもてなくなったことが発症の一因でしたが、入院中、お見舞いに来てくれた友人と話すことで踊りに対し楽に考えられるようになり、再び踊りたいと思えたこと。
②家族や友人の支え。
①自分自身の体に危機を感じたから。
②「普通だった頃の自分にもどりたい」という気持ちが食を抑制する気持ちより強くなったから。
①将来の目標ができた事。この職業につくためには、低体重と不安定な精神バランスではダメだと思った。とりあえず、学校受験のために体重を回復させたが、体重が回復していくに伴って体重や「やせ」に対するこだわりが薄くなっていった。
②姉に子供ができたこと。自分も母親にいつかはなりたいと思った。
大学受験に不利になるとわかり、何が何でも治してみせると思ったこと。また大好きな習い事を続けるためにも体力をつけなきゃと思ったこと。
仕事を辞め、極度の緊張状態から解放されて、友人や家族と旅行に行ったり、生活を楽しむ感覚を少しずつとりもどしたこと。